捨て”カメ”しないで!!

9/22の朝、塾の駐輪場にカメがプラスチック製の桶に丁寧に石まで敷き詰めて捨てられていました。 0:30頃に本の出荷をしたときにはなかったので、目にしたときは本当に驚きました。 だからと言って勝手に川へ放流などもできません。なぜならば、明らかにどなたかが敷地内に入り(不法侵入)、逃げないように容器に入れて置いていった(愛護動物遺棄)からです。 すぐに西警察に電話をして来てもらい、保護をお願いしました。一時預かり後、警察の方が放流してくださるそうです。25㎝程度の大きなカメの甲羅は傷だらけでかわいそうだし、勝手に夜中に置いていった人には腹が立つしで、朝から散々でした。おまわりさん、ありがとうございました。

ご褒美と対価とプレゼント

未だかつて、私は<ご褒美>が欲しいと思ったことがなかった。 中学生の時、通知表でよい成績を収めてオーディオを両親に買ってもらったが、私にとってそれは<ご褒美>ではなく<対価>でしかなかった。それが欲しくて勉強を頑張ったという記憶はない。私の目標は別のところにあり、それに付随して成績が上がっただけだった。なので、両親が喜んで私にプレゼントをくれただけという感覚だった。 プレゼントやお土産は断ることもなく、素直に喜んでいただいてきた。ある生徒さんに「お土産はいらない。私は旅行に行かないからお返しできない。」といったら「だから、私がお土産をあげるんでしょ?」と言われてハッと気づかされたのもついこの間だ。「何かいただいたらその分何かを返さなくてはいけない」と私はずっと考えていた。そう、プレゼントやお土産さえも<対価>ととらえていたのだ。きっと相手にもそれを求めて生きてきたに違いない。だから、恋愛も友情も結婚もうまくいくわけがない。私の求める<対価>を与えてくれない相手は、切り捨ててきたのだろう。そこに<愛>や<情>など存在しない。では、今もつながっている人たちとはなにがあるのだろうか。<縁>としか今の私には思い浮かぶ言葉がない。 子育てや教育の本を読んでいると<ご褒美>を設定することを勧める内容が目に入ることは多々ある。が、いかんせんその良さが私には理解できない。私自身が<ご褒美>の良さを知らないのだから、それを与える意味が分からない。よって、実行することもできないでいる。「ありがとう」の言葉や笑顔などは必須とわかっていて行動にすることもできる。だが、その笑顔でさえ息子たちを育てている

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